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Sobre la tradición de las artes marciales de estilo tradicional (Kobujutsu)

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Academic year: 2021

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神戸市外国語大学 学術情報リポジトリ

古武術の伝承について

タイトル(その他言語

)

Sobre la tradicion de las artes marciales de

estilo tradicional (Kobujutsu)

著者

瀧元 誠樹

雑誌名

グローバリゼーションと伝統スポーツ

ページ

25-29

発行年

2012-08-06

URL

http://id.nii.ac.jp/1085/00000814/

Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja

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古武術の伝承につい

瀧元 誠樹 札幌大学 1.スペイ ン で の 忍術 平成 二二年 ( 二 〇 一 〇 ) 年 二 月 に 、 ス ペ イ ン ・ フ エ ン フ ィ ロ ー ラ ( F u e n g i r o l a ) に 二週間滞在した。 その旅程を組ん で いる際、 現地 で 滞 在す る 日 本 人 の 方 に 「 ス ペ イ ン で 武 術を さ れ て い る 方 と お 会 い し た い の ですが 、 心当 たりはあ ります か ?」 と の 質問を投げ か けると 、「 そ れは 、 合気道 で すか? そ れ とも忍術 ですか?」 と い う 返答 を も らった。 この 時私 は無 理か もしれ な い と 思い ながら、 スペイン で忍術 を し て い る 、 も しくは関 心を持っ て い る 人 を探して いたので 、 心 当 た りがあると い う 第 一声に驚いた。 それと同時に、 お そらく一般的に日本では 「 忍術を修行し て い る人は いな い」 と 考 え ら れて いると 思 わ れ る の で 、 こ の よう な 返 事がす ぐ に あ った ことにも 驚いた。 それは、 学生に話をし ても 、 忍 術はすで に歴史上 のも ので あ り 、 「 忍者は 本 当 に いた の?」と 問 い 返されて しまう の が 大 半の意見 だから で ある。 この 旅行 で実 際 に は忍術 を し て い る 人 と は会 え な か っ た 。 そ れ でも、 合気道 を 長い 間修行され、 日本の武術 や 文化に非常に関心を寄せ て い る 人と 話せる 機 会が 持て た。こ の 方は 、マラ ガ ( M á l a g a )で 「 五 輪 書 店 」 を 経 営 す るホ アン・カルロス( J u a n C a r l o s )氏。日本 の 武 術 関連 書籍 が多くならぶ店内 で 、 カルロス氏 は 水墨画教室 も 主宰し て おり、 彼 の描 いた宮本武蔵や武田惣 角の肖像画が 壁に掲げられて い た。 日本 の文化を 紹介 するイ ベ ン ト など がある と 、 合 気 道 や居 合い の演 武 を 行っ てい る と いう 。 こうした出会いをとおし て 、 日 本の武術 が広まっ て い る こ とをあらた め て 実感 で き た。それ も 、 オリ ン ピ ック 競技で あ り国際 柔 道連盟 加 盟 国・地 域 数 が 二 〇 〇 を 超 え る ほ ど 世 界 化 し て い る 柔 道 の よ う な も の だ け では なく、 合 気 道 や忍術 の よ う なある意味 マ イ ナ ー で 古い 武術 の 文 化 ま でもが広 まっ て い る と い う の で ある。 2. 古 武 術 と は ? さて 、 一 般 的 に 日 本 の 武 術 の 総 称と して 「 武 道」 が 使 わ れ る 。 武 道 を あらため て 確 認 す ると語辞典的には 「武士の守るべき道、 武士とし て 身 につける技 」 を意味 す る現代の日本 社会 では 武士は存在し て い な い の で 、 歴史的な事象とし て語られ て い るの だろう。 ところが歴史を繙い て みると、 武道は日本の統一的な組 織 と技術体系とし て 明治時代以降につ くられた柔 道 や剣道 な どの総称と し て語り直された用語である。そこ で 、 筆者が明治時代につくられた武道よりも古い武術につい て 語るとき には、「古武術」と 言 う よ うにし武道と 使い分けて い ます 。 こ の 点につい て 、 もう少し具体的に歴史を概観し て み る。 日本で は 、 鎌 倉時 代から江戸時 代まで 征 夷大将軍 を頂 点に 据え た武士 による政権 が あった。 政権交代時には当 然 な がら、 そ れ以外におい ても たびたび各地 で 戦 は 起 こ り 、 武 士は弓矢や刀、 槍 などを手にし て 戦 闘し て い た。 そし て 、 戦 術 に長け た 者や力ある者が 勝 ち 、 時には運 の良い者 が生き残っ て いく。 そ の時どきに効率の良 い武器が 造られ、 その扱い方 が考 案 さ れ、 武術 が創 ら れ てい た で あ ろ う。 そ の 技術 はい つ何 時 戦 が起 きて も 活 躍で き る よう に備 えて いた即戦 力で あろ う 。 つま り 、 戦が 頻 繁 に起 き て いた時代には、 身 体 が ある程度成長し て くれば鍛錬 で き、 数年 で 戦 場に立て るよ うな武術 が 創 られ て い たの で あ り、 何十年も 修行しな ければ究め ら れないよ うな、 奥 義を師から弟子に相伝 する武術 は少 なか ったと 思 わ れ る 。 少な いと 言う のも 、 江 戸時 代よりも 古 い 年 代 に 創 始さ れ、 現在 ま で 連綿 と受け継がれ て い る武術 は ほとん ど 見 ら れず、 創 られ てもほとん ど 消え て い るの が実 状 だ か ら である。 した がっ て 多 様 な 技を編みだし、 伝 授される身体技法が整い、 武術流 派が興るのは、 天 下太平の世を迎えた江戸時代 で ある。 元 和偃武を迎え ると 基本的に幕府に歯向かうことは許されず、 他 藩とも 直 接的な戦のな い時 代が 二百年ぐら い 続 い て い た。 とは いえ 、 武 士で ある以上は 武 術を 身につけて い なければならな い 。 一 人一派のような形で 有 能 な 武術家が 出て く れ ば 、 そこ に 人 が 集 ま っ て き て い ろ い ろ な 武 術 集 団 が 出 来て く る。 た だ し、 「戦の な い」 時代 ですから、 実 戦的 ではない と批判される こともあった。 例 えば、 荻 生狙徠は 『鈐録』 に て 「剣 ・ 槍 ・ 弓 ・ 馬 術 が

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戦場の用から離れ、 見 事に勝事を第 一にし、 立ち まわ り、 所作の見事な るを専らとする」 と 述 べ て いる。 元 禄期 (一六八八‐一七〇四) にな る と、 武術 が技芸に走り華 法 化したと批判されることもあった。 とはいえ、 太平の世だ か らこ そ、 じっくりと身体技法が錬られ て 今日につながる伝 統文化と し て の武芸諸 流派が 多 く 創 始され、 伝承され、 武 芸文化と し て 華開いたとも 言える。古武術は、 こ う し た武芸文化を指し て い る。 ところが 、 嘉 永六 ( 一八五 三 ) 年に 軍 艦 を引き連れ て ペ リ ーが浦賀へ来 航す ると 、 幕 府は アメリ カ の軍 事力の 脅 威にさらされ 、 そ れまで の 武 芸 では太刀打 ち でき ない 状況 と な る。 そ こ で、 老 中 阿部正 弘 は講武所 や 長 崎海 軍 伝 習所 などを建設させ、 軍 制 改革を行った。 新 た な 軍備を整える 必 要 性 が 出 て来た の で ある。 さらに明治維新以降、 富国強兵政策の下で 身 分階級はなくなり、 徴 兵 令によっ て さ らに新た な軍備が進められる。 欧米を意識した日本とい う 国家体制を改め て 作り直し て い った。 そ し て 、 文 明開化の波は、 武 術 界 にも押し寄せ て く る。 西洋 式の新しい銃や大砲が 導入され、 個 人の力よ りも 集団の力が 必 要にな っ た。 「武士」 をは じめとす る一部の者が 修行 し て い た 日 本 の 武 術 は 「古い 」 もの であり、 「新 しい 」 欧 米式 の も の が 「兵 士」 に普及 さ れた 。 そ こ で 採 用 され身体訓練 は、 西洋近代の身体 技 法で あり日本の武術 で はな い。 古武術とは 、 こう した流れで 「古い」 と 否定され て き た こ とも意識し て おき たい。 3 . 伝統文化と し て の 武 道 とは ? そ う した なか 「日 本」 の 武 術 も すば らしい も の が ある と復興 す る 動 き が出 てきた。 大日本武徳会 は、 明治 二八 (一八九六) 年に平安遷都千百 年を記念し て 創 設 される。 その意図は、 「桓武帝以来の尚武の精神は千 歳和魂の根底するところであり、 和 魂の美 す なわち 武 徳を涵養する」 た め で あり、 「 毎 年 祭典を挙行し、 武道 を講演 す る こ と」 を目的とし て い た。 そし て 、 稽古す る 武術には 剣術と柔 術が 採用される。 さらに、 明治 三七 (一九〇五) 年、 大日本武徳会 は後継者や学校 に おける教員養成の ために武術教員養成所を設立し、武術の伝承・普及に力を入れた。 柔術 で 勢 い の あったもの は 柔道、 す なわち 嘉 納治 五郎が明治 一 四年 (一八二二) 年に創 設 した 講道館 柔 道 で あった。 嘉納治 五 郎 は 、 東 京師 範学校の校長も勤めるほどの教育者 で あ り、 スポーツ科学に通じ英語も 堪能 である。 その能 力 を活かし、 身 体的にも精神的にも鍛えられ、 かつ 人の生きる道を説く身体技法とし て の講 道館柔 道 を創った。 さ らに早く からその柔道の海外へ普及をし て い る。 ちなみに、 日 本人初のIOC ( 国 際オリ ン ピック委員会)委員は嘉納治五郎 である。 もちろ ん 大日本武徳会 で の 中心的な武術は剣術 で あった。 た だ 、 剣 術 は柔道のように新しく 創られた組 織 も体系的 に一つにまとまった技法 がな かった。 多くの剣術流派があるの で 、 統 一的なも のにす る にはとて も難 し か っ た よ う である。 だ が 、 中 学校 での教 材 とし て剣 術 が 採 用 さ れ る こ とになり主流 派の技を集 約 し て 、 大 正元 (一九一二) 年大日本帝国 剣道形が制定された。 さらに統一的な武術をまとめ て いく契機となるのが学校教育 で ある。 学校 体育に て 武術 が利用 で きるか ど うか、 そ の有 用性 が図られるよ うに なった 。 体 育 での採 用 に慎 重 で あった 永 井道 明 は 、 精 神を 重視した 心身 鍛練実現のために 「武術から武道」 へ の転換を説い て い る。 そし て 、 大 正四 (一九一五) 年に東京高等 師範学校 におい て 体操 ・ 柔 道 ・ 剣道 の三 コースからなる「体育科」が設置される。大正 五 (一九一九) 年には、 大日本武徳会の武術教員養成所 が武道専門学校 と 改称し て いるよ う に、 大正時代を中心に「武道」と い う用語と概念が 普 及し て い く。 そし て 、 昭和六 ( 一九三一) 年 、 中 学校令施行規則 改 正に より武道が 必修化する。 ここでは、 武 道のうち 剣道および柔道 が 体育におい て 必修 とされ、 剣道および柔道は 「我が 国 固有の武道にし て 、 質 実剛健なる国 民精神を涵養し、心身を鍛練 す るに適切なるを認めたるが ためにし て 、 両者 また はそ の一つを必修 」 す る と し て い る 。 こ こ で 言 う 「国 民 精 神」 とは、 軍 国主義政策下の精神 で ある ことに注意し ておか な ければ な らな い だ ろう。 す ると誤解 を恐れず に言 えば、 「 武道 」 は 、 戦 時色の強い政 策下におい て 有益 で あ ることを謳うかた ちで 「伝統文化」 とし て 語 られ たも ので あ る 。 そ れは 、 昭 和 二 〇 ( 一九 四五 ) 年 に 第 二次 世界 大戦が 終 結し民主化政策が進められる中で 、 武道は そ の活動を禁止された こ とか らも注視で き る。 そし て 、 欧米列 強 の力による二度目の武術 が 否定され たと いうこ と も 看 過で きな い。 戦後日本におい て 活 動 を禁止された 武道 だが、 柔 道 は い ち はやく活 動

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が 認 められるよ う になる。 とい うのも 前 述し て い たよ うに柔道創始者 で ありIOC 委 員を務めた嘉納治 五 郎 が当初から競 技スポーツとし て 柔 道を 世界に 普 及して い たこ とが 功を奏したと 言えるだろう 。 全 日本柔 道 連盟が昭和二四(一九四九) 年 に設立され、日本体育協会に加 盟する。 さらに、 昭和二五 (一九五〇) 年には、 GHQの許可 を得 て柔道 が 競技 スポーツとし て 学 校体育 で 採用される。 また、 同 年、 全日本撓 (しな い ) 競 技 連 盟 が創 設さ れ、剣 道 も競 技ス ポ ー ツ と し て 活 動 が再開 さ れた 。 昭和三三 (一九五八) 年には、 中学校学習指導要 領告示により 、 柔 道・ 剣道・相撲は 格技として 体 育選択 必 修化され る。昭和六 二 ( 一九八七 ) 年にな る と 、 「 国 際理 解を深 め 、 我 が 国 の文化と 伝統を尊重す る態 度の 育成を重視」 し、 「諸外国に誇れる我が国固有の文化とし て 、 歴史と伝 統のもとに培われ て き た武道を取りあげ、 そ の特性を活かした指導が出 来るよ う に」 すると い った教育課程審議会答申 が 出された。 こ れにより、 格技は 「 武 道 」 と 名 称 変更されて 学 校体育にお い て 指 導される 。 さ らに 平 成 一 九 ( 二 〇 〇 七 )年 に は 、中 央 教 育 審 議 会 が 、 武 道 を 男 女 と も に 平 成二四 ( 二〇一二) 年 から中学校保健体育におい て 必 修化 する方針を提 出 。 今 の 、 そ して 将 来 の 子 ど も たち に 「 伝 統 文 化 のと して 武 道 を 普 及 ・ 伝承す る こ と 」が 目的とされて いる。 ここま で 武道につい て の歴史を概観し て きた が、 学校体育 で 「 我が 国 固有の」 伝統文化とし て の 武道 が 必 修化されるのは、 戦時中と平成二四 年 度からだけで あ る。 で は 、 そ こで 語られる伝統とは、 ど う い うものな のか。 武道は戦争に邁進し て しまった 時代に日本固有の もの とし て 統 一 的 に 創 ら れた もの だった こ と を 確認 し て お か な け れ ば なら ない 。 筆 者 が、 「武道」 と 「 古武術」 を使い分けて いることの意図はここにもある。 そし て 、 グローバル社会におい てすで に 武道は 競 技スポーツとし て 確 立し て い ることも合わ せ て み て おく必要があるだろう 。 4.競 技 ス ポ ー ツ とし て の 武道 / B U D O 平成一九 (二〇〇七) 年 の世界柔道選 手権大会 で 、 金メダル間違い な し と 思 わ れ て いた鈴木桂治 選手 が負 けた 時、 斉藤仁監督 は 「 こ ん な もの は柔道 で は な い 」 と言 ったそ う だ。 何 を 指 し て 「 柔道 では ない 」 と 言っ た の だ ろ うか。 お そ ら く 、 「日 本 の 伝統 的 な 柔道 」 を イ メ ージ し て い る のだろ う 。 そ う は 言って も 、 す で に 競技 スポーツと し て の 柔 道 が 世 界 的 に 普 及 し 、 そ して 世界 選 手 権と して 開 催 さ れ て い る そ の 現 場で 、 ル ー ル に準じた試 合 を指 し て 「柔道 で は な い 」 と言 える とした ら 、 大 い な る矛 盾を抱えて い ることになる。 も しくは、 国際競技スポーツとし て の 「J UDO」 は、 日本の伝統的な 「 柔 道 」 で はな いと いうことをは っきり さ せるべきな の かも しれな い 。 そ し て 、 斉 藤監督は 「柔 道」 を追求し て き てい る の だ と 。 こうした事例からもわかるよ う に、 武道には今、 大きな潮流 が あると 思います 。一方は、伝統文化とし て 創始された武道の身体技法がある。 もう一方には、 競 技スポーツ化した武道、 も っと言えばグローバル化し た武道の身体技法がある。 この武道 は、アルファベッ ト で 「BUDO」 と 書 い て 使い分けるべきだろう 。 さらに加えると江戸 以 前から伝 っ て きて いるよ う な古 武術の身体技 法がある。 こ の三つの流れ、 つ まり 「古武術」 「 武道」 「 BUDO」 を 抑 え て お か な い と 、ど の 立 場 で も の を 言 っ て い る の か 、ど の 立 場 で 武 術 を見よ う とし て い るのか、 全然 違っ てくる。 「私た ち がこれからの子供 た ち にどうい う武術 を 教 え てゆくのか。 どのよ う なもの と し て 触 れ させ てゆくのか」考 え て い った時に、その前 提が違っ てくる。 5.古武術 を 伝 承 する意義 筆 者 が古武術 を修行し、 伝 承し て い る中 で注目し て い るの は、 身体技 法に通底し て いる合理性と その妙、 そし てコミュニケーションの原点と なるよ う な身体へのアプローチ である。 特 に 身体へのアプローチ に 対し て 視 点を切 り 替えるこ とで 使える領域が 大きく 広 が り 、 深 化す るこ とに なる。 と い う の は 、 古 武術 は、 とにか く 対峙 する人 を いかに操作し て い くかの術 である。 ところが、 自 分 で 技をか け て い る限り、 技はかからな い。 ど う いうこ と かと いう と 、 相 手 の 身 体を動 か す た めに 自分 の 体 をど う 動 かす かと 考えて い る 限 り 、 相 手 は 動 くわ けが な い 。 い わ ば 独 り よが り で 自 己 完結した 運動なの だか ら、 相手 にその技 は伝 わっ て い か な い の である。 自 分 の身体 で さ え 思 う よ う に 動 か な い こ と が あるに も かか わら ず、 自 分 の身体を動かし て い る だけ で相手 を 動かせ る はず がない。 違 う

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言い方をすれば、 自 分 の繰り出そ う とする技に対し て 、 無 条件に従っ て くれる相手 は 練習相手 ま で であっ て 、 実 戦 で は自 分が意識し て コントロ ールしよ うとすれば す るほど自 分とは違う、 自 分 に対抗 す る存在 と し て 相手 が立ち 現 れるとい うこと で ある。 むし ろ自 分 で 考 え る こ と を やめ てし まっ て、 自 分 で動か そ う と する自 我のようなも のを捨 て て し まっ て 、 その場に身をゆだねる。 相 手がどう 来 る の か 、 相 手が ど う いう 状 況 に あ る の かと いうこ と を 感 じら れ る 感性 を磨い て い っ て 、 “ ひ ら かれたからだ” で 相手 と接 する重要性に気 づ き たい。 稽古とは 、 相 手の呼吸や力み、 バラ ンスなど のい ろ い ろなも の を 感 知 する感 性 を 自 分 が持 ち、 そ れ に 順 応 す る、 反射 と言っ て もいい か もし れ ない が、 相手 の 動 き に 対し て上手く 順応 できるよ うに多くの 技 を修得 し、 そ の 可能 性 を ひろげる ことだ。 どう順応し て くれるのか と い う の は 、 そのときに任せるしかな い 。 ど うなるかわ か らな い自分 、 こ の 先 こ の人 とどうなる の か わ からな い ところ に 、身心を 預けられる の かが問 わ れ る。身構えて しま っ て いたら 、 その構えに合致す る技が来て く れれば、 嵌っ て ス ムーズに動くかもしれな い 。 し かし ながら、 実際には想定し て い な い 動 きとなる ことの方が圧倒的に多い。 どうなるか わ からない、 と い う ことはと ても怖い 。 け れ ど もそ の 怖 い と ころに自 分の心 と 身体 を ひ らい て、相手 と立 ち合 える状 態 が、 理想 だ ろ う。 ここま で 来ると、 人 と 争 う ため に技を磨い て い るとい う ことにはなら ずに、自然体 で 触 れあえる身心の状態、感性を磨い て い ることになる。 こ の 意味 で 、 古武術の稽古はコミュニケーションの原点を感じるよ うな 状態 にな る 。 そも そも 自分 に対 して 殺 意 を 向 け ら れ た ら 困 るわ けだ か ら、 なるべくそ う い う 危 害 を与えられ な いよ うに、 日 頃から周囲の人た ちと接 す るよ うにし な ければ な ら な い。 自分が 自 分と いう 心を 捨て な け れ ば な ら な い ので 、 い わ ゆ る 「 無の境 地」 に 普 段 か ら立 って いな いと いけな い 。 意 識だ と か 力みだ と か 構 え み たいなも のを捨 て て 行 く よ うな境地と い う の があるのだろう 。 武芸者た ちが禅仏教 に 傾倒し て い く とい うの は、 どうもその辺りの こと ではない か 。 いろ いろ な も の を 捨て て 、 自 然 体で あ る が ま ま の 状 態 で 立 って いら れる境 地 が 求 められて いる 。 そ こでこ そ 初め て 真 の、 それこ そ 命を かけ たよ うな状況の中でも、 自 然に振舞えるのだろう。 そ うすれば力みもな く上手 く 順応 でき て 、 気付 けば自 分 が生き残っ て いた とい う状況か もし れ な い 。 むし ろ、 こ こ ま で く る と実 戦の 攻 防 の な い 状 況 か もし れ な い 。 このよ う な技 法を 古 武 術 に お け る叡 知 と し て 伝 承 する ことに、 魅 力 を 感じ て い る。 6. 浅山 一 伝 流 体 術 よ り 最後に、 今回ワークショップにおい て古武術の体験 す る機会 も あるの で、 そ こ で扱 う予 定 の 技 の 紹介 を し てお きた い 。 一つは、 手の指 に つい ての 意識 と身体への作用につい て。 そ れ は次の よう に 示 せる 。 人差し指:上方 中 指:下方 薬 指:後 方 小 指: 前方 親 指: 回転 これ につい て は、 次のよ う にし て確認 す る。 ・肩幅くら い に脚を開い て 立ち 、向かい合う 。 ・相手に両手首を握っ てもらう 。 ・自 分は、自 分の両手を開い て 掌・手の指を合 わ せる。 ・ 人 差し指を合 わ せる ことに意識を集 中 させ ながら、 指先 を上方へ 移動させる。 ・ 中 指を合わ せることに意識を集中させながら、 指先を上方へ移動 させる。 ・そ こ で 生じ る身体感 覚の 違い を感 じ る ことが大 切 で ある。 以下、中 指・薬 指 ・小 指の作用も 同 様に比べあ い をし て み る。 これらの ことは、 意識 と身体への作用を確認 する ことに な る が 、 技 の 妙を感じるには一番簡単なものと言える。

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次は、 浅 山一伝流体術から技を一つ紹介 する。 浅 山一伝流 は、 浅山一 伝斎重晨が、 丹波国浅山村不動の霊夢に よっ て 開 眼し て 創 始したとされ、 その時 期 は 天 正年間 ( 一五七三 ‐九三 ) と さ れて いる古武 術 で ある 。 本 来武術 は 合 戦 の場におい て 、 必 要に応じた武器 で 戦う術 な の で 、 浅 山一 伝流 も体術 だ け で なく、 剣 術、 棒術、 捕 縄術 など多様 である。 浅山一伝 流 は 江戸時代におい て 比較的盛ん だ った武術 で 、 その伝流 は二一藩にも 及ぶと 言 わ れ て い る。 こ の 浅山一伝流体術の初目録の 「抱込」 の技解説 は次のとおり である。 ・肩 幅く ら い に脚 を開 いて 立ち 、向 か い 合う 。 ・相手は、両手首を握る。 ・自 分は、両手の平をいっぱいに開き、フッ と力を緩める。 (以下、 すべ て 自 分の 動作) ・ 左 掌が上に向くよ う に反時計回りに手を動かし、 へ その前 あ たり でとめ る 。 ・ 右 掌が上 に 向く ように時計回りに手を動かし、 自分の右手首が 相 手の右手 首に触 れ るよ うにし て とめ る。 ・ 両 親指 に意識を持 ち 、 掌 を手前に一緒に返 す。 すると、 相手の右 腕が 伸びき り つま 先立ち に な る 。 ・ 腕 を組 むよ うな形にし、 相手 を浮かせた ま ま、 右脚を時計回りに 移動させ ながら相手の右隣に並び 立 ち 、 極め る。 以上 だが、 前 述のよ う に、 自 分 の意識 で コン トロール するのを無 く し て い くとい う のは、 技 の修得 段 階 で は無理 で 、 む し ろ しっかり習った こ と が ら を 理 解 して 、 一 つ 一 つ 正 確 に 動 か して いくこ と が 重 要で あ る 。 理 解し指示をす るのは 、 言葉に 寄 るところが 大 き い から、 ど う し て も 身体 運動は細 分化される。 上述の解 説にし て も動きを各段階に追 う よ う にし てい る が 、 実 際 に は コ マ 送 り に なっ てい ては流 れ が 途 切 れ てし ま う の で 、 相手に対 応させる機会を与えることにもな り 、 腕 力で の対抗も 起きて し まう 。 し たが っ て 内容が 理 解 で きれば、 一つの流れで 形が決まる よ うに しな け れ ばな らな い。 さらにはで き るだ け 一 瞬で 動 く こ と が 求 めら れる 。 そし て 、 意識せずとも順応し て こ の 技が 現れ て く れば完成で あ る。 その ために必要 な ことがらは、 稽古におい て 師の技を感じること、 口伝に て 教 え られた こ とを体現 する こと である。 その意味 で 、 上述の解 説もすべ てを表 し てい る わ け で は な い 。 古 武 術 が 、 伝 承さ れず に 消 え て い く こと が多い の は、 こうした 口伝等 秘 伝性 があるか らか もし れ な い 。 いず れにせよ、 い わゆる腕力 で はなく、 技 法 を理解 す れば形から力 が 生まれ て くることを感じられるとよい。 7.主 な 参考文献 岩城英 男 『護 身術 浅山一伝流体術伝書 横浜 伝』 ぴい ぷる社 一九九 六年 大道等 頼住 一昭編 『近 代武道の系譜』 杏林書 院 二〇〇三 年 小佐野淳 『武 術 浅山一 伝 流』 愛隆堂 一九九〇年 岸野雄 三 他編 『近代体 育スポーツ年表 三訂 版 一八〇〇―一九九七 』 大修館書店 一九九九年 瀧元誠樹 「感 性 を 磨 く 忍びの術 」 『叡知の身体技法 -忍術 に おける 身体のヴ ィジョンを 探 る-』 財団法 人 ミ ズ ノス ポー ツ振 興 会 2 0 0 7 年度 研究助 成 金 研 究 成 果報告 書 二〇〇八年 瀧元誠樹 「武術への関 心につい て 」 『現代スポ ー ツ評論二 〇号』 創 文企 画 二〇 〇九年 中村民雄 『今、な ぜ武 道か』 日本武道館 二〇 〇七年

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